決定論vs量子論

量子エンタングルメントの非局所性は決定論的世界観と自由意志にどう関わるか?

Tags: 決定論, 量子力学, 自由意志, エンタングルメント, 非局所性, 哲学, 物理学, ベルの不等式

はじめに:物理学の進展が問い直す自由意志の根源

長年にわたり、人間の自由意志の可能性は、物理法則による世界の決定論的な構造と対立する形で議論されてきました。古典物理学、特にニュートン力学が描く宇宙は、初期状態が完全に与えられれば、未来の状態が予測可能であるという決定論的な世界観を強く支持するように見えました。この決定論的な枠組みの中で、私たちが行う選択や行動が真に自由な意志に基づいているのか、それとも単なる物理的な因果連鎖の不可避な結果なのか、という哲学的な問いが深く考察されてきたのです。

しかし20世紀に入り、量子力学という新しい物理学の登場は、この決定論的な風景に揺らぎをもたらしました。特に、量子力学が示す現象の中に、古典的な直観に反する「不確定性」や「確率性」が存在することが明らかになったのです。そして、量子力学の最も奇妙で、しかし十分に検証されている現象の一つに、「量子エンタングルメント」とそれに伴う「非局所性」があります。

本稿では、この量子エンタングルメントと非局所性が、従来の決定論的世界観にどのような影響を与え、ひいては自由意志を巡る哲学的な議論にどのような新たな示唆をもたらすのかを考察してまいります。私たちは、非局所的な相関という物理的な現象が、自由意志という哲学的な概念にどのように関連しうるのかを探求します。

古典的な決定論の世界観

古典物理学における決定論は、宇宙のあらゆる時点の状態が、先行する時点の状態によって完全に決定されるという考え方です。例えば、18世紀の科学者ピエール=シモン・ラプラスが提唱した「ラプラスの魔物」という思考実験があります。もしある知性が、ある瞬間の宇宙の全ての原子の位置と運動量を完全に知り得るとすれば、その知性は古典物理学の法則を用いて、宇宙の過去および未来のあらゆる状態を完全に計算できるだろう、という主張です。

この見方によれば、私たちの脳や身体も物理法則に従う物質の集合体であるため、私たちが行う思考や行動もまた、物理的な因果律の連鎖によって必然的に決定されていることになります。もしそうであるならば、「自分で選んだ」という感覚は錯覚に過ぎず、真の自由意志は存在しない、という結論に至る可能性が高まります。これは、自由意志と決定論が両立しないとする非両立可能性(Incompatibilism)の立場、特に自由意志の否定(Hard Determinism)を支持する根拠となり得ます。

量子力学の登場と非決定論の可能性

量子力学は、原子や素粒子といったミクロな世界の振る舞いを記述する理論です。この理論は、古典物理学では説明できない多くの現象を説明する一方で、予測が本質的に確率的であるという性質を持っています。例えば、放射性崩壊や、電子が二重スリットを通過する際の振る舞いなどにおいて、個々の事象の結果は確定的に予測できず、特定の確率でしか記述できません。

このような量子力学の確率的な性質は、決定論に対する有力な反証として捉えられることがあります。もし世界の根源的なレベルで非決定的な出来事が起こりうるならば、宇宙全体の未来が過去によって完全に決定されるという古典的な決定論は成り立たなくなるからです。この非決定論的な性質が、一部の論者には自由意志の物理的な基盤を提供する可能性として捉えられてきました。つまり、脳内の量子的なプロセスにおける真のランダム性が、決定論的な鎖を断ち切り、自由な選択の余地を生み出すのではないか、という考え方です。

しかし、ここで重要なのは、単なる「ランダム性」が直ちに「自由意志」を意味するわけではない、という点です。ランダムな出来事は、決定されていないという意味では非決定論的ですが、それは主体が自律的にコントロールできる「自由な選択」とは異なります。自由意志には、行為者が自らの理由や意図に基づいて行為を選択するという側面が不可欠であると考えられます。したがって、量子力学の確率性が自由意志を救済するためには、単なるランダム性以上の、何らかの形で主体性や意図と結びつくメカニズムが必要となります。

量子エンタングルメントと非局所性:物理学における新たな挑戦

量子力学の非決定論的な側面の中でも、特に哲学的な示唆に富むのが、量子エンタングルメントと非局所性です。

量子エンタングルメントとは、二つ以上の量子システムが、互いに離れていても、量子的な相関を持つ特殊な状態にあることを指します。例えば、一対のエンタングルした粒子があったとして、片方の粒子の状態(例えばスピンの向き)を測定すると、もう一方の粒子の状態も瞬時に確定します。これは、二つの粒子が独立した状態を持っていたのではなく、一つの結合された量子状態を共有していたために起こります。

このエンタングルメントに伴う驚くべき性質が非局所性です。非局所性とは、ある場所での出来事が、空間的に離れた場所での出来事に(見かけ上)瞬時に影響を与えるかのような相関が存在することです。アインシュタインはこのような現象を「不気味な遠隔作用(spooky action at a distance)」と呼び、局所的実在論(物理的な影響は空間的な近接性を通じてのみ伝わる、かつ物理的な対象は観測独立に存在する)の観点から量子力学の不完全さを示唆するものと考えました。

しかし、ジョン・スチュワート・ベルが提唱した「ベルの不等式」とその後の実験による検証によって、量子力学の予測する非局所的な相関が現実のものであることが強く示唆されました。これは、古典的な局所的実在論が成り立たないことを意味します。つまり、私たちの宇宙は、局所的な相互作用だけで完全に記述できるような単純な構造ではない可能性が高いのです。

非局所性は決定論にどう関わるか?

量子エンタングルメントによる非局所性の確認は、古典的な決定論、特に局所的な因果律に基づく決定論に新たな課題を突きつけます。厳密な決定論は、過去の「局所的な」状態が未来の「局所的な」状態を決定するという考えに基づいていることが多いですが、非局所的な相関は、空間的に離れた事象間に、局所的な因果律では説明できないレベルでの関連があることを示しています。

これは、宇宙全体の未来を完全に予測するためには、局所的な情報だけでは不十分であり、非局所的なレベルでの量子状態の相関を考慮に入れる必要があることを示唆します。しかし、この非局所性が直ちに「決定論の否定」を意味するわけではありません。

例えば、量子力学の一つの解釈であるボーム解釈(Pilot-wave theory)は、非局所性を認めつつも、その理論構造は決定論的です。ボーム解釈では、粒子は常に確定した位置を持ち、その運動は宇宙全体に広がる「誘導波(pilot wave)」によって決定されます。この誘導波の効果は非局所的であり、瞬時に遠方の粒子に影響を与えますが、理論自体は決定論的な方程式によって記述されます。

したがって、非局所性の存在は、古典的な局所的決定論を修正あるいは放棄する必要があることを示唆するものの、決定論そのものが完全に否定されるわけではありません。決定論的な非局所理論も存在しうるからです。重要なのは、世界の根源的な物理的構造が、我々が直観的に考えるよりも遥かに複雑であり、古典的な局所的因果律の枠組みには収まらない可能性がある、ということです。

非局所性は自由意志にどう関わるか?

非局所性が自由意志の議論に与える示唆は、さらに複雑です。

一つの可能性として考えられるのは、非局所性が人間の意識や意思決定プロセスにおいて何らかの役割を果たしている、という考え方です。例えば、「量子脳仮説」のような試みは、脳内の微細管(microtubules)といった構造における量子的な効果、特にエンタングルメントが、意識の統一性や自由な選択といった現象の基盤になっているのではないかと推測します。もし意識や意思決定が非局所的な量子過程に本質的に依存しているならば、古典的な局所的因果律に基づかない形で、「自由な」意思決定が可能になる余地が生まれるかもしれません。しかし、これは現時点では speculative な仮説であり、脳科学や量子物理学の主流の見解として広く受け入れられているわけではありません。量子効果が脳のようなマクロな、暖かく湿った環境でどのように維持され、機能しうるのか、具体的なメカニズムについては多くの未解決の問題があります。

また、非局所性が示唆する、物理的な実在に対する新たな理解自体が、自由意志の哲学的な議論に影響を与え得ます。例えば、非局所性が示唆する世界の全体性や相互関連性は、個々の存在が完全に独立した存在として機械的に振る舞うという決定論的なイメージを覆す可能性があります。我々が、宇宙の非局所的な構造の一部として、単なる局所的な因果連鎖では説明できない形で、世界と関わっているという視点は、自己決定や選択の経験を異なる光の下で捉えることを促すかもしれません。

しかし、非局所的な物理法則に従うシステムが、古典的な物理法則に従うシステムよりも「自由」であるとは限りません。非局所的な相関が存在するとしても、その相関が物理法則によって完全に記述され、決定されているならば、そこに行為者の「自由な選択」が入り込む余地は見出しにくいからです。結局のところ、物理的なプロセスがいかに奇妙で非直観的であっても、それが決定論的である限り、伝統的な意味での自由意志(別の選択肢を選び得たというような意味での自由)は成立しにくいという問題は残ります。

非局所性が自由意志に示唆を与えるとすれば、それはおそらく、物理的な決定のレベルを超えた、あるいは物理的な記述の枠組み自体を問い直すような形で議論されるべきでしょう。例えば、観測問題における意識の役割(意識が波動関数の収縮に関わるという解釈)や、多世界解釈(可能な全ての未来が実現している)といった量子力学の異なる解釈が、自由意志の議論とどのように絡み合うのかといった点に関心が向けられます(これらのテーマは既存の記事で扱われています)。非局所性はこれらの解釈と深く結びついており、それぞれの解釈が自由意志論に与える影響を考える上で、非局所性の理解は不可欠となります。

現代の議論と今後の展望

量子エンタングルメントと非局所性が自由意志にどう関わるか、という問いに対する明確な答えは、現代物理学も哲学も持ち合わせていません。

物理学の側面では、非局所性の根本的な意味や、それが決定論とどのように整合するのか(あるいはしないのか)について、様々な解釈が存在します。これらの解釈は、世界の究極的な構造についての異なる見方を提供し、それぞれが自由意志の可能性に対する異なる示唆を与え得ます。

哲学の側面では、非局所性といった物理的な現象が、自由意志という規範的・形而上学的な概念とどのように橋渡しされるのか、という難問があります。物理的な非決定性が存在するとしても、それがどのようにして意図や理由に基づく行為へと繋がるのか、という「行為の哲学」における課題は依然として残ります。また、非局所性が示唆する世界の全体性や相互関連性が、個人の責任や主体性といった、自由意志に深く関わる倫理的・社会的な概念とどのように両立するのか、といった問いも生じます。

リベット実験などの神経科学的な知見が、無意識的な脳活動が意識的な意図に先行することを示唆し、自由意志に疑問を投げかけている現代において、量子物理学、特に非局所性のような現象は、物理的なレベルで古典的な決定論を揺るがす可能性を持つ重要な要素です。しかし、この物理的な可能性が、哲学的な意味での自由意志にどのように翻訳されうるのかは、今後の物理学と哲学のさらなる対話、そして新たな理論的・実験的な進展に委ねられていると言えるでしょう。

結論

量子エンタングルメントとその非局所性は、私たちの宇宙が古典的な局所的因果律だけでは説明できない複雑な構造を持っていることを示唆しており、これは古典的な決定論的世界観に対する重要な挑戦となります。非局所性が決定論そのものを否定するわけではないにしても、世界の物理的な基盤に関する私たちの理解を深め、再構築を迫るものです。

そして、このような物理学の最前線における発見は、自由意志という哲学的な課題に新たな光を当てます。非局所的な物理現象が、脳や意識といったシステムにおいて何らかの役割を果たしている可能性は、自由意志の物理的な基盤に関する議論に新たな方向性を与えうるかもしれません。しかし、現時点では、非局所性が直接的に自由意志の存在を証明する、あるいは否定する明確な論拠を提供するまでには至っていません。

自由意志の問題は、単なる物理的な決定論や非決定論を超えた、意識、意図、行為主体性、責任といった哲学的な概念が複雑に絡み合った問題です。量子エンタングルメントと非局所性の研究は、物理的な実在の理解を深めることで、この根源的な哲学的問いに対する新たな洞察をもたらす可能性を秘めています。物理学と哲学の境界領域におけるこの継続的な探求は、人間の存在とその可能性について、私たちに深く思考することを促します。